田中農園について

田中農園の歴史

水田の広がる「八和田村」

田中家のルーツは、江戸時代初期に現小川町の上横田を治めた武田新十郎信俊(川窪信俊)から紐解くことができる。上横田・輪禅寺は信俊が父・信実(長篠の戦いで戦死した信玄の弟)の供養のための菩提寺で、以降一族の墓碑が建ち並んでいる。

 

上横田、下横田を含む八和田村は、水田が今も広がる地域だが、その基盤を作ったのが信俊の孫・信貞と云われる。武田の治水技術を活かして大沼造成工事をしたことが、この一帯が米農家として栄えた由縁である。現在も沼の水は近隣農家にとって貴重な水源となっている。田中家のご先祖様も江戸初期没(元禄時代)であるので、武田家の恩恵を受けた一族と考えられる。300年経った現在も、この地では沼の水を共有する「水当番」という慣習が存在し、

「水は出たか?」

「まだ来週だんべ」

などといった会話が交わされる。

古来日本の農村文化が色濃く残る。

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農村を支えた養蚕業

また、年間日照時間が長いことで知られるこの地は、降雨量が少なく、沼の水が出る6月上旬に田植えを行い、稲刈りは9月末と早めである。乾きやすい土地のため、路地もの野菜には不向きだったこともあり、養蚕業が明治~昭和にかけて盛んであった(※養蚕で使われる桑の木は荒れ地でもよく育つ)。実際、下横田含む八和田地区では養蚕業が各農家で盛んに行われ、年に3~4回は出荷をしていたと云います。当時は、養蚕で農家に御殿が建つとも云われ、

「お蚕さま」

と、農民は崇めていました。

米づくりとお芋の里

時代と共に日本製のシルクの需要が下がり、昭和が終わるとともに養蚕業は姿を消し、米農家は兼業農家が主となりました。お米以外の主要品目は、麦や大豆、芋類、ネギ等です。埼玉県では川越市が芋の街として有名ですが、その北に位置する小川町も芋栽培にとても適しています。

平成~現代の小川町の農業は「有機の里」として名が知られるようになりました。年間就農者も数名ずつ出ています(but、町の人口は減少中)。
しかし、未だに耕作放棄地解消や農家の後継ぎ問題は日本全国同様に深刻です。
田中農園同様に、直販やインターネット、SNSを通じて野菜や米を販売する農家も増えてきています。